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ア ン コ モ ン   ライフ
uncommon life
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 それはいつもの通り、伊達方の霊波塔の占有作戦会議だった。
 今回は宿毛の隊士だけでは人手が足りないからと、四万十の前線からも助っ人を呼ぶのだそうだ。
 けれどそれだけなら田所が呼ばれたりはしない。
「霊電力変換装置を?」
「そうだ」
 陸上戦ということで小源太は作戦の指揮を全て仰木高耶に任せているらしく、会議は終始彼主導で進められた。
 若者らしいよく通る声で説明されたその話を要約すると、つまりはこうだった。
 今度の作戦で狙う霊波塔は地理上とても重要な地点あり、どうしても抑えておきたい。けれど獲られまいとしているのは伊達方も同じで、護りに他の霊波塔とは違う策を講じていることが調査をしてみたわかった。
 ひとつは特殊な結界が張ってあること。それはその様式が特殊すぎて、まだ破る方法すら見つかっていない。
 もうひとつは、地下に貯水池ならぬ貯霊池が備わっていること。特殊な結界はこの貯霊池を動力源としているため、送霊線を断ってみたところで何の影響も受けずにいられるらしい。せっかく霊力網を分断しても、その結界を破るのにてこずっているうちにまた送霊力線が復活してしまうのだそうだ。
 そこで、仰木高耶はこんな作戦を立てた。
 断ち切った送霊力線を霊電力変換装置に繋ぎ、強制的に電力に変換させることによって貯霊池の霊力を干上げさせてしまおうというのだ。そうすれば結界も弱まり、破ることが可能になるだろう、と。
「無茶です」
 何も考えずにそう口走ってしまった田所は、仰木高耶の強い視線をぶつけられて思わず怯んだ。
「無茶は承知の上だ」
 仰木高耶は調子を変えない。田所の意見など最初から聞き入れるつもりはないようだ。
 その態度にカチンときた。
「ですけど、あの装置は『シバテンの首』に合わせて調節を重ねたものです。いきなり他のモノに繋いでも対応できません。だいたい変換した電力はどうするんです?」
「送電線を繋いで近くの変電所へ流すことになる」
「そんなの危険すぎます」
 相手が仰木高耶であることも忘れて、田所は言った。
「失礼ですけど、霊力も電力も扱いがどれほどむずかしいかわかってないんじゃないですか。たとえその霊波塔の霊力をまるまる変換するとして、通常なら準備に一ヶ月はかかるし、実際の変換作業だって一日がかりでやるような規模です。戦闘の真っ只中でいきなり本番なんてとても出来ることじゃありません」
 正直、あの『シバテンの首』相手の調整にすらひーこら言っているのだ。
「それに、前線にあんな大きな装置を持っていったら、敵の格好の標的になるんじゃないんですか」
 ここ何ヶ月も自分達が苦労して作り上げてきたものだというのことが、わかっているのだろうか。
(壊されたらどうすんだよ)
 けれど仰木高耶ははっきりと言い放った。
「装置はオレが護りきるから問題ない」
 全く揺らぐ気配がない。田所は呆れるしかなかった。
(護れなかったらどうすんだよ)
 なんだろう、この感覚。異様に心がむかつく感じ。
 プライドを傷つけられるというのはこういうことなのかもしれない。
 仰木高耶は自分たちのしてきたことを明らかに軽んじている。
 怒りに似たものが、田所の腹の中を駆け巡っていた。
「作戦自体はもう決定事項だ。おまえたちに頼みたいの技術的な問題だけだ」
 仰木高耶は田所たちがここ何ヶ月かで提出した装置関連の報告書の束を示した。
「これだけ強気な報告書を出しておいて、"できない"はないだろう?」
 するとここまでずっと黙っていた橘が、初めて口を開いた。
「……わかりました」
「橘さん!」
 勝手に了承してしまった橘の横顔を田所が振り返ると、いつもの冷静な顔とは少し違っていた。
 挑戦を受けて立つ、いや、どちらかというと挑みかかるような眼をしている。
 その証拠に、準備期間に一週間与えると言った高耶を、
「三日で構いません」
と突っぱねた。
 こうなったらと、負けじと田所も声を張り上げる。
「戦闘には俺も行きます。あんたたちだけに任せておけない」
 そう捨て台詞を残して、田所は席を立った。
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「田所」
 会議室を出て、ずかずかと廊下を歩いていると、すぐに橘が後から追ってきた。
 手には資料の束を抱えている。たぶん、伊達方の霊波塔に関する資料だろう。
 田所は立ち止まることもせずに言った。
「三日でやるなんて。また得意のはったりですか」
 気持ちが収まりきらなくて思わず睨みつけるようになってしまったが、橘は隣を歩きながら軽く眉をあげただけだった。
「何も言わなかったんだから、お前も共犯だ。そう苛つくな」
「………すいません」
 窘められて、はあ~と田所は大きくため息をつく。
「けど、あんな言い方しなくたって。"作戦は決定事項だ"なんて」
 もちろん言い方が気に入らないから怒っている訳ではない。そんな田所のプライドを、橘も解ったみたいだ。
「お前が言ったことはすべて、あのひとだってわかっているさ」
 さっきの挑戦するような目つきはすっかり仕舞いこんで、橘は言った。
「それでもやれと言うのがあのひとだ」
「……わがままですね」
 田所が拗ねたように言うと、
「そうだな」
と笑みまで浮かべている。
「橘さんは悔しくないんですか?寝る間も惜しんでがんばってたってのに。装置が壊れちゃったらそれが全部水の泡なんですよ?」
 敵方に破壊されるか、変換の許容量を超えて粉々になるか、どっちにしろ全てが台無しだ。
「前にも言ったが、過去の行為が無駄になるということはないと思ってる。ただ、もし装置が壊れるようなことになれば、行き場を無くしたエネルギーが暴走して周囲に被害を与えるだけでなく、赤鯨衆の将来にとっても痛手となるだろうな」
 つまり、今まで装置のためにがんばってきたことも今回の作戦もすべて、意味がないどころか酷く有害な行いになってしまう。
「そうさせるつもりはない」
 言い切った橘は、それに、と続けた。
「あのひとが護ると言ったんだ。世界で一番信頼できる約束だ」
 田所は思わず、瞬きをした。
(ものすごく信用してるんだな……)
 橘だけでなく、仰木高耶のまわりにいる人間は皆そうだ。必ず彼には絶対的な信頼を置いている。
 そう言ったら、
「"たらし"だからな」
と言われた。
「え?」
「善し悪しにかかわらず、彼は人に特別な感情を抱かせる天才だ」
 足を止めた橘が、会議室の方を振り返る。
「稀有なひとなんだ」
 表情はいつもと大して変わらない。けれどその言葉には橘の感情が詰め込まれている気がして、妙に田所の心に響いた。
 橘も、仰木高耶に特別な感情を抱いているのだろうか。
 かくいう自分だって、仰木高耶には他の人間とは違う感情を抱いているには違いない。決していい感情ではないが。
(だから、善し悪しにかかわらず、か)
 どんな人間からも常に特別扱いだなんて、自分と仰木高耶はまるで正反対なんだな、と気付いた。
 けれど決して仰木高耶になりたいとは思わなかった。自分は万人に慕われたいわけじゃないようだ。
(特別な人生を手に入れたかったはずなのに)
 ならば自分の理想の特別とは、いったい何なのだろう。
 考え込む田所に、橘は資料を手渡しながら言った。
「お前こそあんなことを言って。戦闘経験はないんだろう?」
「大丈夫ですよ。"W・YOSHI"ってことでがんばりましょう」
 ずしり、と思い資料を片手で受け取って、もう片方の手で拳を握ってみせたら、橘は意味がわからない、という顔でこちらを見てきた。
「ほら、義明と好浩でダブル・ヨシ」
「ヨシヒロ?」
「………俺の名前っす。ひでぇ……」
 仰木高耶ですら田所の苗字を知っていたのに、橘は自分の名前を知らなかったらしい。
 少々ショック気味の田所の隣で、橘は感慨深げに言った。
「そうか……。兄と同じ名だ」
「へぇ、おにーさんいんすか」
 そんな風に答えて、ふと自分の家族のことを思い出す。
 今頃どんな思いをしているだろうか。
 両親など、とにかく真面目だけが取り柄のような人たちだというのに、不運続きで本当にかわいそうに思う。借金まみれで廃業し、やっと立ち直りかけてきたところで長男が事故死。しかも犯人の身体に田所が憑依している訳だから、たぶんひき逃げ扱いで犯人は捕まっていないことになっているだろう。
(親不幸でごめんなさい)
 田所が心の中で頭を下げていると、橘は、とりあえず工場へ戻ろう、と言った。
「明日の午後にはもう一度試運転を行うから、それまでに計算を終えておけ」
 簡単に言ってくれるが、それをやるのは田所なのだ。
 けれどなんとなく、やる気らしきものが湧き上がってきていた。
(こうなったら、仰木高耶の目にモノを見せてやる)
「なんだったら、失敗するようにわざと細工でもしておきましょうか」
「そんなことをして爆発でもしたらどうする。巻き添えをくって死ぬぞ」
 橘が真面目な顔で言ってくるから、田所は
「もう死んでます」
と死人にはお馴染みのギャクを言った。なのに、
「………そうだな」
 橘からは気のない答えしか返ってこなかった。
 橘の車で移動するために駐車場へ向かっている途中で、田所は自分の上着ポケットのふくらみに気づいた。
「そういえばこれ、天満って人から届いてましたよ」
 取り出して、橘に差し出す。出掛けに届いたから、渡そうと思ってそのまま持ってきていたのだ。
「ああ……」
 その小さな小包を受け取って少し考えていた橘は、
「ちょっと出てくる。先に戻っていてくれ」
と言うと、ひとりでスタスタと行ってしまった。
「はーい……」
 仕方なく田所はそれを見送る。そして、くるりと踵を返した。
(よし。久々に食堂で飯食ってから帰ろうっと)
 工場へ戻ってしまえばどうせまた缶詰状態になってしまうのだ。せっかくだからその前に、うまいものでも食べて精をつけておきたい。
 ところが、今度はズボンの後ろポケットの封筒に気付いてしまった。
(げ、これも渡しとかなきゃ)
 今度の品は、医師の中川掃部からの封書だ。
 赤字で"至急"と書いてあるから、よほど急ぎのものなのだろう。
 結構頻繁に連絡のある中川と橘の接点はよくは知らなかったが、大抵自分にはよくわからないむずかしい話をしているから、何かふたりで進めている計画でもあるのかもしれない。
 とりあえずその封筒を渡そうと、田所は橘の後を追った。
 もう出発してしまったかもと思いつつ、駐車場で橘の車を探してみる。
 すると、車はまだそこにあった。中には誰も乗っていない。
(あれ?どこいったんだろ)
 てっきり車でどこかに行ったものだと思っていた田所だったが、もしかしたら小源太にでも会いに行ったのかもしれない。
 すぐに引き返そうとすると、建物の裏手のほうから話し声が聞こえてきた。
 よくよく聞いてみると、その声が今まさに探していた橘の声だったから、何故そんなところにいるのか疑問に思いつつも向かってみる。
 建物の陰から覗き込むようにすると、確かに橘はいた。
 が、一緒にいるのが仰木高耶だったから、田所は慌てて身を隠した。
 今はちょっと気まずいから、出来れば顔を合わせたくない。
 話が終わってから封筒を渡そうと思い、しばらくその場で待つことにした。
 ふたりとも田所がいることに気づいていないせいか、話すトーンがいつもとは随分と違う。ふたりからは見えないよう角度に気をつけながら、田所は頭だけをだしてふたりの様子を伺った。
(いったい、なに話してんだ?)
 興味深々で聞き耳を立て始めた田所の目に、橘が先程の小包をポケットから取り出すのが見えた。
 覆っていた茶色い紙をビリビリと剥がす。
 すると。
(あ……!)
 それは、田所でも知っているような有名チョコレートブランドの菓子箱だった。
「どうしたんだ、こんなもの」
 呆れたような仰木高耶の声が聞こえてくる。
「調達部にコネがあるんです」
 そう答えた橘は、普段は絶対に見せないような笑みを浮かべてその箱を差し出した。
「年に一度だけの、聖なる日でしょう?」
「………馬鹿だな」
 仕方なく箱を受け取って、仰木高耶はその場で菓子箱を開けだす。
「ここで開けるんですか?」
「こんなもの、持って帰って誰かに見つかったらどうする」
「バレンタインなんて、知る者はいませんよ」
「楢崎がいるだろう、楢崎が」
 包装紙を破り、ぱか、と蓋を開けた仰木高耶は、そのこげ茶色の粒に目を細める。
「たまにはいいよな、甘いもんも」
 一粒だけを手に取った。機嫌を良くする仰木高耶に、橘はくすりと笑う。
「怒られるかと思ってました」
「……そう思うんならするな」
 仰木高耶はチョコレートを手にしたまま、顔を上げた。
 その口元に、どきりとするような妖しい笑みを浮かべる。
 瞳が、燃えるように煌いた。
「食わせろよ」
 そう言ってチョコレートを橘の唇に押し付けると、顔を寄せてそれに噛み付いた。
(………え?)
 驚きのあまり、呼吸がとまる。
 目の前で行なわれていることの意味が、すぐには理解できなかった。
 きっと田所と同じくらい驚いた橘も、しばらくはされるがままになっていたが、すぐにその筋肉質な腕で仰木高耶の腰を荒々しく引き寄せる。
「んっ……」
 喉から漏れたような甘い声が聞こえてきて、我に返った田所は慌ててその場を離れた。
(どっっ、どーゆーことっ?!どーゆーことっ?!)
 パニックになって走っているうちに、食堂に寄ることもすっかり忘れて工場へと到着してしまった。
 なんとか心を落ち着けようと、いつもの自分の椅子に座ってみる。けれど動悸は全く静まる気配がなかった。
 PCを立ち上げて画面に向かってみるが、思考がストップしてしまったように何も考えられない。脳内ではずっと、先程の光景がひたすらリプレイされている。
 なんとかそれを消し去ろうと悪戦苦闘しているうちに、当の橘が工場へと戻ってきてしまった。
 とりあえず、こちらには気づいていなかったはず。普通にしていればいいのだ。
「おかえりなさーい」
 けれど、普通に言ったつもりがどこかぎこちない。
(………駄目だ)
 動悸はやはり治まらない。妙な気恥ずかしさを感じて、橘の顔も見られない。
 なんとかやり過ごそうとパタパタとでたらめにキーボードを叩いて集中しているフリをした。
 が、橘は田所の背後から言った。

「他言するな」

 心臓が、飛び出るかと思った。
「…………ぁぃ」
 小さな声で返事をする。
(やべえ、俺今たぶん顔真っ赤だ)
 何故密会を見られた本人でなく、自分がこんなに動揺しているのだろうと疑問に思いながら、田所は両掌で顔を覆った。
 あの出来事から一日以上が経って、やることに追われていたせいもあったし、橘のほうも全くいつも通りの態度だったから、田所はアレは夢だったんじゃないかと思い始めていた。
 昨日からほぼ徹夜で、今日の夜も少し仮眠を取れればいいかという厳しいスケジュールの中、正直それどころじゃないというのもある。
 田所は、椅子に座ったまま身体を反らして、ぐっと伸びをした。
 隣で例の霊波塔の資料に目を通している橘は、今日はそれとは違う霊波塔の奪還作戦に参加して、先程戻ってきたばかりだ。
 変換装置の細かい設定について意見を交わしたりしていると、工場で作業をしていた隊士たちがひとり、またひとりと出掛ける支度を始めだす。彼らに定時というものはなかったが、ノルマさえ達成すればそれでその日の仕事は終わりなのだ。
 今日はわずかだが賃金が支払われる日なので、皆で町へ繰り出すつもりらしい。どこそこの"おなご"がどうのこうの……という声が聞こえてくる。
「毎回、オンナオンナって、飽きないですねえ……」
 横目で見ながらそう言うと、橘は煙草に火をつけながら言った。
「男なら、当然だろう」
(へえ………)
 気にしてもらえないことは知りつつも、禁煙ですって、と煙をパタパタと手で扇ぐ。
「意外ですね。橘さんがそんな風に言うなんて」
 潔癖なところがあるから、性的なことにはまったく関心がないように思っていた。
「性欲というのは、簡単に飼い慣らせるものじゃないからな」
「えぇー、嘘くさいっすねぇ……」
 随分人間らしいことを言うが、本音だろうか。
 けれど脳裏に、あの仰木高耶を力強く抱き寄せた場面が蘇った。こと恋愛に関しては、意外に情熱的なのかもしれない。
 赤面しそうになって、田所は煙ではなく自分の顔をパタパタと扇いだ。
「何だ?」
「……いえ。なんかうらやましいなあって。別に女の子が嫌いなわけじゃないんですけど、あそこまでテンションあげたりできないから」
 お祭りのように騒いでいる工場員たちを見ながら、田所は思う。
 女性は好きだ。彼女が出来たことだって、幾度かはある。けれど、いわゆるラブラブって感じまで盛り上がった関係になったことはなかった。家族のような気心の知れた関係というわけでもない。どこか他人行儀な関係しか築けなかった。
「まあ、俺みたいな奴が相手じゃ、女の子も盛り上がりようがないって話ですよ」
 卑屈になる田所に、橘は二本目の煙草に火をつけながら言った。
「相手のことは関係ない。自分がどれだけ相手を想えるか、だろう」
「………例え邪険にされても想い続けろっていうんですか」
「嫌われても、貶められても、憎まれても」
─────
 やはり、橘はかなり情熱的な面があるらしい。
「相手に面倒くさいって思われそうで嫌だなあ……」
「面倒くさいと思っているのはお前だろう?想い続ける事と諦める事の利点を比べて、諦めを取っただけだ。そうやって、計算で動いているうちは特別な関係なんて築けない」
 橘は煙を吐き出した。
「本当に欲しいものを目の前にしたら、理屈なんて全部吹っ飛ぶ」
 あ、それだ、と思った。
(多分、俺にはそれが欠けてるんだ)
 Hしたくてしょうがないとか、絶対誰にも渡したくないとか、そうやって誰かを特別に思ったり執着したりしない。相手が物でも出来事でも何でもそうだ。
 どうしても欲しいものなんてないし、絶対に受け入れられないこともない
 いつもなんとなく幸福で、なんとなく不安だった。
「………それが不満だったんです、ずっと」
 だから留まったのだ。この世に。
 しかし、不満がわかったところで解決策がすぐに導き出せるわけでもない。
 自分にとっての"理想の特別"。そういうものが、この世の中のどこかにあるのだろうか。
「これからは探せばいい。赤鯨衆とは、そういう場所なんだろう」
 煙草を灰皿に押し付けながら、橘は言った。
 確かにそうだ。時間はあるのだから焦る必要はない。
 けれどここ最近、自分はその答えに急激に近づいて行っている気がする。手が届きそうだと思うと、人はそれを掴みたくてしょうがなくなるものなのだ。
「……………」
 ぼんやりとする田所に、
「明日、朝一でもう一度試運転をする」」
 橘はそう言って話を打ち切った。
「とりあえずのところはこのまま進めていい」
「わかりました。………じゃあ少し、休んできたらどうですか」
 自分以上に眠っていない橘は、寝不足のせいで心なしか眼が赤い。
「……そうだな」
 それでも出かける予定があるからと、一時間後に起こすように言って、橘は仮眠室へと消えた。
───忙しい人だ)
 そして、田所が再びPC画面と向き合っておよそ一時間。
 そろそろ起こしに行くかというところで、思わぬ客が工場に現れた。
 人気のなくなった工場に、入り口の扉の開く音が響き渡る。
 田所がそちらをみると、そこに立っていたのは仰木高耶だった。
(おっと……?)
 彼は静まりかえった工場内をぐるりと見回してから、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「橘は」
「えーと……いま仮眠室にいるんで、起こしてきますね」
 田所が立ち上がると、
「ならいい」
と帰ってしまいそうになったから、 田所は慌てて引き止めた。
「あ、でももう5分もしたら起こさないといけないんで」
 時計を確認するとまだ少し早いが、どうせうなされて休めてはいないだろうから、起こしに行ってあげたほうがいい。
 ところが仰木高耶は、手近にあった椅子を引くと、
「なら、時間まで待つ」
と言って、座ってしまった。
「………わかりました」
 そう答えて再び席についた田所は、しばらくの間PCに向かってはみたのだが。
(沈黙が重い)
 何故だか背中のあたりに妙なプレッシャーを感じる。
 これも邪眼のせいだろうか。
 何か会話会話、と探してみるが、思いつくのは共通の知人(?)であるあの男のことしかない。
 田所は、身体は画面に向けたまま話しかけた。
「橘さんて、おもしろいひとですよね」
「………そうか?」
「悪党のくせに真面目なとこがあって」
 そう言ったら、同感を得られたのか、仰木高耶は小さく微笑った。
 調子に乗って、更に言葉を続ける。
「どれくらいの付き合いなんですか?」
 軽い気持ちで聞いたのに返事を貰えないので振り返ると、仰木高耶は何故か無表情になってしまっている。田所は慌ててフォローを入れた。
「あの、ヘンな意味じゃなく……えっと、期間、期間です。知り合ってからはもう、長いんですか」
「………数えたことないな」
 仰木高耶は頬杖をついて、近くにあった書類を手に取った。
───そっけねぇ)
 まあ、何月何日が出会って何ヶ月記念♪とかって言ってもらえる訳はないけれど、もうちょっと気持ちのこもった言葉が聞きたかった。
 あれだけ情熱的に思われて、こんなにそっけなくされてしまっては、ちょっと悲しい。それとも、やはり橘のことを面倒だと思っているのだろうか。
(あんな風にチョコレートを受け取っておいて?)
 だとしたら、思わせぶりにも程がある。橘をからかって、楽しんでいるのろうか。
「橘さんは仰木さんのこと、すごく大事に想ってますよね。その………ヘンな意味で」
 あの理性の塊のような橘が、理屈を抜きにしてしまえるほど強く。
 思い切って身体の向きを変えて、仰木高耶の眼を見た。
 相変わらず強い力を放つその眼に、長時間耐えられそうになくて口早に言う。
「仰木さんもちゃんと橘さんのこと好きですか?」
────……」
 沈黙する仰木高耶を前にして、かなり馬鹿なことを言ってしまった、とすぐに気付いたのだが、もう取り返しはつかない。
 しばらくの沈黙が続いた後、彼は心臓をバクバク言わせている田所には何も答えずに、涼しい顔で立ち上がった。
「起こしてくる」
 それだけ言って、去って行く。
 姿が見えなくなったところで、田所は大きく息を吐いた。
(徹夜するより疲れたかも……)
 見ると時計の長針が、ちょうど5分進んだところを指していた。
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